自分を大切にするという事
2017年 09月 23日
今日は、セラピストっぽく(?)自己探求と自己受容について書こうかと。
こういった事はたくさん本に書かれているので、今更私なんぞが何を書くのだと言う事もあるんですが。
しかも、こういう事を書こうとすると理屈っぽくなるわ、うまく表現出来ないわ、
自分は出来ていないのに上から目線っぽくなるわで、あんまり書いてないのですが、
最近本当に自分を大切にする事や認める事が思っていた以上に大切だと感じること多々で。
常にも増しての拙いblogにおつきあいくださいませ。
人は、自分の事を分かっているようで分かっていない事が多いもの。
無意識に自分にとっては当たり前だと思って、オートマチックに考えたり行動していることを、
意識に上らせる事、自覚的になる事、つまりそれが自分を知る事、自己探求だと思っています。
自分を知って行くと、物事への自分の対処の仕方や考え方の癖がわかったり、
気に食わないあの人のあんな所も自分にもあるぞと気づいたりもするでしょう。
人は自分を映す鏡とはよく言ったものです。
人を見て気になったり引っかかったりする部分は、自分の中にそれを認めていない所だと言います。
結局すべての事が自分なんだと気がついて、しょーもないと受け容れて行く事、それが魂の成長=意識の拡大なのだと私は解釈しております。
ですから、きっと究極は自分を、全てを受け容れて行くということなのだろうと。
きっとそれがすべてが一つ、と言う事なのでしょうね。
良い部分は勿論、弱い自分、ずるい自分、臆病な自分、攻撃的だったり、破壊的だったりする自分をも
自分の内に存在する事を知って行き、認めて行くということ。
すべてを受け容れる、といっても何があっても何もしなくていいと言う事ではなく、
意識化された上で、自分が困るなら必要な現実対応をしたり、変えて行くべき部分を変えたりして行く必要はあるかもしれませんが。(これがなかなか難しい事だけど)
この世に存在する前提としても、それは大切で、自分をある程度以上は許して認めていないと、怖れから自由になれないし、欠けている部分にばかり目が行ってしまう。
そしてこの現実の世界は苦しく辛いものになってしまう・・・これって私の経験からも言える事でもあり、
情けないかな、だからこそ今でも自己受容に取り組み続けている自分がいるわけです。
いい歳だろうが、セラピストであろうが関係なく、苦しい思いをして来たし、まだそうであるとも言える。
ワンネスなんて遠い遠い。(笑)
でもね、これに取り組まない時よりは、やって来てずっと楽になったということは言えます。
辛いときなどは、つい深刻になりがちですが、自分を許して行くと、不思議と気を楽に持つことが出来るようになります。
本当におそるべし、自己受容!なのです。
by chinagii
| 2017-09-23 15:48
| 思うこと
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